経歴

1958年
東京都台東区根岸生まれ
1980年
日本大学藝術学部写真学科卒
 
伊勢神宮の撮影で著名な渡辺義雄教授の勧めで、建築写真の世界に進む
株式会社川澄建築写真事務所入社
1986年
株式会社新建築社入社
1991年
株式会社新建築社写真部長
2008年
新建築社を退社、小川重雄写真事務所開設
2012年
桑沢デザイン研究所非常勤講師
東京理科大学特別講師
法政大学大学院兼任講師
 
東京大学にて写真展「Perspective Architecture」開催
2013年
武蔵野美術大学特別講師
東京大学特別講師
2016年~
日本大学藝術学部写真学科非常勤講師
法政大学デザイン工学部建築学科研究科兼任講師
早稲田大学芸術学校非常勤講師
ogawa

ご挨拶

天文写真を撮るために、自宅にあった古いオリンパス製カメラをいじり始めた小学生。
それが東京の下町に生まれ育った、昭和43年頃の私です。
やがて中学~高校と進学するにつれ、興味の対象が星から山に移り、
大学の頃にはプロの山岳写真家を目指すようになりました。

大学卒業の1年前、授業の課題で提出した1枚の建築写真が、私の人生を変えます。
街中に数ある建築の中で、自分の眼で選んで撮影したのが、 偶然にも村野藤吾設計の「日本興業銀行本店」でした。
恥ずかしながら、その頃は「村野藤吾」の名前すら知りませんでしたが、
その写真が建築写真界の重鎮:渡辺義雄教授の目にとまり、建築写真への道を勧められたのです。

それから、沢山の時間が流れました。 大勢の方々に支えられ、多くの貴重な経験を積む事ができました。

これまでの自身の写真活動を振り返ると、三つの大きな仕事があります。 それをご紹介します。

「a+u1984年4月号臨時増刊号:Erro Saarinen作品集」

川澄先生の事務所に在籍していた頃に、新建築社への出向社員として撮影ツアーを行いました。 若干25歳、海外での仕事は初めてで、しかも単独でした。 広いアメリカに点在するSaarinenの建築を訪ねて、毎日飛行機で移動し、 時にはハーツのレンタカーを駆り、貧しい英語力を駆使して、夢中で撮影しました。 今その本を開くと、なんともお恥ずかしい出来の写真ばかりですが、 雑誌のレイアウトを想定しながら、緩急をつけて構図を決める醍醐味、 それを初めて味わったのです。

「a+u1998年2月号臨時増刊:Peter Zumthor作品集」

すでに新建築社の写真部員として日本全国を飛び回っていた頃で、海外取材も年に数回こなしてました。 この作品集には私の思い入れがたっぷり詰まっています。 1996年9月と1997年7月の2回、それぞれ約2週間スイスに滞在して撮影しました。 レンタルしたオペルのステアリングを握り、たった一人でアルプスの山中を走り回り、撮りまくったのです。 夢のような経験でした。 Zumthor氏とも撮影の合間に何度か話をしました。 ヴァルスの温泉施設の現場まで、Zumthor氏の運転するランチアの助手席に座り、 彼の好きな白黒写真について語ってもらったのは、終生忘れ得ぬ時間です。 Zumthor氏からは本当に沢山の教示を受けました。 建築のディテールを即物的に撮るのではなく、詩的に表現する事を要求されたのです。 彼はカラー写真の持つ饒舌さを嫌っていましたが、私の撮ったカラー写真にはOKを出してくれました。 その後、私の写真を変化させる貴重な経験であり、大きな自信にもなりました。 この「Peter Zumthor作品集」は既に絶版になり、 古書オークションでは元値の10倍以上の価格で取引されているようです。

「新建築2005年11月号臨時増刊:日本の建築空間」

この本は新建築創刊80周年記念の特別号で、400頁を越す大著です。 日本の建築史上、内部空間が豊かな建築を100選び、可能な限り撮り下ろそう、 という大胆かつ壮大な企画でした。 法隆寺から金沢21世紀美術館まで、監修の先生方が討議の末100選んだのですが、 それを実際に撮影するのは、気が遠くなりそうな試練が予想されました。 特に、古建築の撮影はまったく経験値がなく、未知の領域への挑戦だったのです。 待庵など撮影許可が下りなかった建築や、既に撮影済みだった桂離宮を除いて、 掲載された古建築は、ほとんど私が撮影を担当しました。 ライトやレフ板、暗幕などの撮影機材をホンダ・シビックに満載し、 編集スタッフと二人三脚で全国の古建築を撮って回ったのです。 被写体は重要文化財が当たり前、平等院や厳島神社のような世界遺産や国宝クラスが多数ありました。 足掛け8ヶ月の撮影期間中、大変な苦労もしましたが、得難い経験ばかりでした。 デジタルに移行する直前だったので、撮影はすべてコダックE100Sの4×5ポジフィルムでした。 暗いお堂の中は、ビューカメラでアングルを決めるだけでも一苦労でしたが、 露出時間が1分から2分と長く、本当に大変でした。 シャッターを明け、時計を見ながら光がフィルムに定着されるのをじっと待つ時間。 私の身体の中に、日本建築のプロポーションが染み込んでいく時間でもありました。

以上で、「三つの大きな仕事」のお話は終わりです。
独立してからはデジタルによる撮影がメインになりました。
最近は、フィルム時代には不可能だった、デジタルの機動力を生かした撮影に興味があります。
人物を積極的に画面内にとり入れ、動きのある空間表現にもトライしています。
ただ、画面構成の際にはビューカメラ時代のこだわりを忘れず、 建築写真家としての軸足は失わないつもりです。

この先、写真を巡るテクノロジーの進歩で、自分の写真表現がどの方向に進んでいくのか、自分でも判りません。
ただ、これまでどおり、光を大事にして表現することに変わりはないでしょう。
光の具合によって、物の形、プロポーション、質感、 そして空間のニュアンスまで異なって見えてくるのです。
「photograph」とは元来、光によって描く、という意味です。
この言葉を改めて噛み締め、光に鋭敏な写真家であり続けたい、と思います。

2012年10月吉日 ホームページ開設にあたって
小川重雄